チラシ掲載推薦文
ご執筆いただいた皆様、本当にありがとうございました。(順不同)
劇団しようよの公演を観て、いつも思う。「まだまだ甘いっ!」と…(笑)
でも、とにかく「演劇やりたい」っていうでっけーエネルギーみたいなものは感じる。
そのエネルギーの出かたが、うーん、直球って言うのか、衝動的って言うのか、なんか、「マジでやる気あんの?」って突っ込みたくなるようなゆとり世代的それとは明らかに違う感じがあって、でも、若者的なお高くひねた部分もしっかりあって、そんな奴ら。
だから、馬は馬でも、若い暴れ馬が観られるんじゃないかって、そう期待!してるんです。
―――杉原 邦生(KUNIO/木ノ下歌舞伎)
大原くんの創るものは、劣情、激情がエレクトほとばしってる。
最初から自転車の変速を一番重くして、電柱やブロック塀にぶつかりながら自分の内面にエレクト突っ込んでる。
それは、単に自分自身を持て余しているだけなのか。それとも自意識のドロヘドロ溜まりを、のたうちまわりながら己と対峙してるのか。
それは僕にはまだ判断がつきません。
でも、その行為を続ける大原くんだからこそ掴みとった表現だと、僕もエレクト思います。
―――山田 百次(劇団野の上)
「バンドやろうぜ!」という雑誌があったけど、それに対しての「劇団しようよ」なんだ!と勝手に思い込み、
そのことを代表の大原くんに伝えたら、あっさり「違います」と、若干引き気味で言われたことを覚えている。
けど!私は「しようよ」を京都のパンクロック劇団だと思っている。いや、ネオモッズなのかもしれない。
男の子の鬱屈とロマンチックを3000回転のエンジンで鳴らしている。
永遠とも刹那ともとれる「今」を鳴らしている。
―――イトウ ワカナ(intro)
京都。
ギターの爆音を背景に、メガホンで私体験を叫び続ける若い彼らの作品に戸惑い、腹筋と涙腺とをヤラれた。
なぜ「はんなり」の都で、こんな乱痴気騒ぎを!聞けば前年から[4のつく日]に路上でやらかしてたパフォーマンスの集大成だったという。
そうか待てよ、劇場の壁や天井の方こそが邪魔だったのかもしれん。
その後、北九州公演の新作にも不意に涙したのは、なるほど、彼らがまるで腹で暴れる胎児のような力強さと脆さとを持っていたからだ。
さあ、腹を蹴破って飛び出したとも言えるフライング気味の東京ツアー。
結成2年目となる乳児の泣き声に、東京は震撼するに違いない。
―――市原 幹也 (のこされ劇場≡)
「しようよ」の後にくるのはなんだろう?
「しようよ!」「しようよ~」「しようよ?」「しようよ☆」などと色々と想像しながら劇団しようよを見に行った。
特に下品な私は「しようよ」に期待していたのだが、終演後、後悔した。
彼らの「しようよ」はあまりにも素直な「しようよ」だった。
なにも言葉は続かない。ただ純粋に演劇をしようよ。言い切る力の強さ。
こんな人たちが現れる限り演劇は安泰である。
彼らの「しようよ」が成長して「Showよ」になるときが今から楽しみだ。
―――益山 貴司(劇団子供鉅人)
劇団しようよの信用できるところは、偉いおっさんに向けてでも、カワイイ女の子に向けてでもなく、自分に向けて作品を作っているところ。
なんと自分に向けて「劇団、しようよ」と誘っているのだ!
時にウジウジと、しかし、時に美しく。(基本的にはウジウジ)
今回どうやら、あなたに向けて作品を作るようだ。
「劇団、しようよ」とあなたを誘うらしいぞ。
客席ごと劇団化するなんて!気をつけた方がいいですね。これは。
―――山崎 彬(悪い芝居)