劇団しようよからのお知らせ
お世話になっております。
劇団しようよ 大原です。
本当であれば2020年1月に予定していた新作公演を、延期することにしました。
理由はとてもシンプルです。いま構想している作品を、本当に納得のいく形として実現するために、
少し時間が必要だと考えたからです。
いつも応援してくださったり、気にかけてくださったり、観に来て、叱咤激励してくださるみなさまには
とても申し訳なく思っています。
「劇団しようよ」、旗揚げ9年目。
気が付けば僕は人生の1/3を劇団しようよとして活動してきました。
その9年の間に知ったこと、感じたこと、飲み込み噛み砕いたあらゆるものに敬意と責任を持って、
密度の高い「強い作品」を作りたい、と感じています。
いま一度、自分に問い直します。誰に向けて作品をつくるのか。
演劇を使って、どんな社会を切り取り、描き起こそうか。
そこで僕は「強い作品」がつくりたいって思います。
でも、じゃあ"強い"ってなんなんでしょう。
それはもしかしたら弱いことをたくさん知っていることかもしれないと思いました。
誰かのことがすごく大切なのに、でもいつの間にか「大切」さは手のひらからこぼれ落ち、
どこかへ無くしてしまうような脆さを伴っているように僕は感じます。
大切なものがいつしか大切に思えなくなる時がやってくる。
誰かへの大切さを忘れ去った僕たちは、「人のことを人と思わなくなっていく」んじゃないかと怖くなります。
人を人と思わなくなる時、歯止めの効かない悲しさがこの世の中を暴走するんじゃないか。
その暴走は首を絞めるように、ジリジリといつの間にか、
人を人と思わなくなった「僕たち自身」へ向けられるのじゃないか、と感じます。
世の中が怒りを抱えているんじゃないか。とんでもない怒りを。
竜の顎には、触れてはいけない鱗があるそうです。それに触れると、竜の憤怒に見舞われる。それを逆鱗に触れるというそうです。
今、世の中には、目に見えない逆鱗があふれかえり、それはひしめきあい、怒りの捌け口を探しているような、
そんな危うさの上に僕たちは立っているのかもしれない。そう思います。
いや、実を言うと、僕の中にこそ、そんな危うさが流れているような気がしてなりません。
怒り、不寛容、理不尽を産むかもしれない自分についてです。
なんて事でしょう。僕は人を人と思わないばかりか、僕自身に暴力の種すらも孕んでいるのかもしれない。
なんて恥ずべきことと思います。
それがいつしか暴発したら?抑えのきかない発露の仕方をしたとしたら? 傷つける側と傷つけられる側は、
いとも簡単に反転し、その境界はいつだって揺らぐのかもしれない。
少なくとも僕は、そんな恥ずかしさを持っています。
「弱さ」と「強さ」を捉え直したい。綺麗ごとで済まさないために、そして誰も傷つけないために、しっかり弱さを知りたい。
その弱さが、優しさやかつてあったはずの大切さを呼び戻してくれるような、そんな「強い弱さ」でありたい。
とても恥ずかしながら、お金も、時間もない今の劇団しようよは一旦足踏みをし、公演を延期します。
でも、それは勇気のある足踏み、積極的な延期です。
だから、しりすぼみにならないための決意として、延期にする次回公演の本タイトルを決めました。
いつ上演するか、どこで上演するかも未定ですが、その時がくるまで、
しっかりと準備をして、何かを見落とさないよう、見失わないよう、目を凝らしたいと思います。
以下、次回公演タイトルです。 ご期待ください。