「劇団しようよアーカイブ Up to 2017」

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結成7年目となる私たちのあゆみを、

次回新作公演を行う1月21日まで記録写真とともに

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結成7年目の劇団しようよが、久しぶりに新作公演に取り組むにあたり、

新入劇団員・徳泉が、これまでとこれからの劇団しようよについて話を聞いていきます!

 

徳泉:結成7年目の劇団しようよが、今回、劇団員と密に創る公演ということで、この七年間のことを聞いていきたいと思います。よろしくお願いします。

 

大原:よろしくお願いします。

 

徳泉:まず、2011年4月にアトリエ劇研にて第一回公演『めっちゃさちあれ』にて劇団を旗揚げされているんですが、吉見拓哉さんとはこのときから一緒に活動されているのですね。吉見さんとはどこでお知り合いになったのですか?

 

大原:吉見くんとは大学の同じクラスやったんです。二人とも芸大生だったんですが、僕が二年生の時に現代芸術のクラスに移ったんです。現代芸術のクラスはこの世に存在するものすべて素材みたいな考えのクラスで、だから僕は演劇をしようと思って。パフォーマンスみたいなことをしている友達も多くて。そこで吉見くんに出会った。もう出会って10年目ですね。

 

徳泉:なるほど、それで一緒に演劇をやろうよとなったのは、どうして…?

 

大原:劇団しようよを始める前に、学生時代にやってた劇団があったんですよ。そのときから吉見くんとは何度か一緒にやってて。

 

徳泉:そうなんですか。

 

大原:吉見くんに最初に声かけたのは僕なんですけど。彼はその時もバンドとかやってはって、それを知ってて興味はあったので声をかけてみました。でも、最初は音楽関係なく俳優としてオファーしたんですよ。僕と吉見くんと元カノの三人芝居とかやった。

 

徳泉:なるほど(笑)

 

大原:で、それを経て、次は吉見くんはミュージシャンやし、お芝居に音楽をつけてよって言って、4年生の夏休みに公演をやったんです。それが旗揚げ公演『めっちゃさちあれ』の半年前?だから、僕も吉見くんも、旗揚げ公演前にアトリエ劇研デビューしてたっていうわけですね。その公演が終わってから、劇団やる?って僕が聞いて、吉見くんもやるって答えて。お互い一秒も就職活動せずに、劇団旗揚げに向かって行ったんですね。

 

徳泉:じゃあ旗揚げ公演は、卒業直後になるわけですね。結果はどうでした…?

 

大原:いやあ……実はぜんぜんダメでした!実は2011年入った直後に失恋をしていて、ものすごい落ち込んでいた時期だったということもあって。うまく作品が創れなくて…。そのときも吉見くんに励まされて。劇団史に残るボロボロな公演でした。

 

徳泉:それでも半年後には『茶摘み』を、同じくアトリエ劇研でされているわけですが、あきらめずにやろうとなったのはどういう経緯ですか?

 

大原:この二つの公演の間には時間が空いているんですけど、実はこの間の時間がミソで。劇団しようよを旗揚げしてみたものの、最初の公演が良くなくって、どうしていこうかって吉見くんにも相談してて。僕は当時、俳優としてやっていたし、作・演出よりも出る方のモチベーションがあった。吉見くんは吉見くんでミュージシャンやし、そういう意味では二人ともパフォーマーやなと。で、そんな二人の創作方法を探るということで、路上パフォーマンスをやってみようということになったんです。

 

徳泉:そのころから路上パフォーマンスは始まっていたんですね。

 

大原:吉見くんが弾いて、僕がセリフを言うみたいなんが面白いなと言うことで、そのスタイルが、第二回公演『茶摘み』に繋がっていったという感じです。旗揚げ公演のときは、吉見くんの劇伴は全部録音やったんですよ。

 

徳泉:へー!

 

大原:『茶摘み』から吉見くんが生演奏するっていう今のスタイルになった。旗揚げ公演で落ち込んで、武者修行的に路上パフォーマンスをやったのが、かなり大きかったなと。

 

徳泉:路上パフォーマンスって、どのあたりでやってたんですか?

 

大原:いたるとこでやってました。四条大橋の交差点の向こう側の出雲の阿国像のとこだったりとか、四条烏丸の交差点だったりとかがメインで。あとは三条大橋を下に降りた鴨川のところとか、あちこちの大学の構内でもやりましたね。警察が来たらすぐ謝るという、ヤリ逃げスタイルと呼んでいました。京都は路上ミュージシャンが多いこともあって比較的温厚だったかな。毎月4のつく日にやってて、4月は毎日4がつくんで毎日やってて。たまに東京とか遠方でもしてた。

 

徳泉:なるほど。

 

大原:東京は厳しくてやりづらかった。秋葉原の大きな事件あってまもない頃だったので、秋葉原とか渋谷は全くダメで。東京大学の中だけはできたんですけど(笑)。

 

徳泉:そういった路上パフォーマンスの先に、2012年4月の『ガールズ、遠くーバージンセンチネルー』があると。

 

大原:路上パフォーマンスは僕の失恋の悲しさを成仏させるようなものだったので、その成仏公演のような感じでやりました。ちなみにここで当時月面クロワッサンに所属してた西村花織さんが出てくれたんです。

 

徳泉:西村さんもこの公演をきっかけで劇団しようよに携わることになったと聞いています。以前からお知り合いだったんですか?

 

大原:直前に僕が月面クロワッサンに客演して、そこで知り合ったんですけども。当時まだ2回生か3回生でした。

 

徳泉:まだ学生やったんですね!『バージンセンチネル』のときは一緒にやっててどうやったんですか?まさか現在まで一緒にやることになるとは思ってましたか?

 

大原:めっちゃやりやすかったですよ。花織さんも僕の作品に出るのが楽しいというか喜びを見出してくれて。またオファーしたいなと思ってた。劇団に入ってもらったりというのはまだわかんなかったですけど。実はこのときの公演には、次回新作公演で舞台監督をする、脇田友くんも出てくれていたという。

 

徳泉:『茶摘み』にも脇田さんは出て頂いてますよね。

 

大原:大学が一緒やったので。

 

徳泉:2012年は、第三回公演の『スーホの白い馬みたいに』で初のツアー公演をされています。このころの劇団の体制はどうだったんですか?

 

大原:ちょうどそのころにドラマトゥルクの稲垣貴俊さんが入った。彼は今、木ノ下歌舞伎にいるんですけど。彼が入って、作家・演出家とミュージシャンとドラマトゥルクっていう三人のいる形式の劇団になった。わりと話の合う三人やったんです。お互いの領域も決まっていたんで、すごくやりやすかった。それと、その時期の大きな出来事としてその時期に「gate」(※KAIKAで行われていた試演会イベント)に出たんです。現在KAIKAのアソシエイトカンパニーという形で関わらせて頂いているんですけど、KAIKAに出会うきっかけがgateでした。30分の演目をショーケース的に上演するイベントで、そこでやらしてもらって、いろんな人に出会ったんです。今回の『おろしたての魚群』に出てもらう紙本さんとか、制作統括の植村さんだとか。しかも幸運なことに、そのgateで、北九州の「のこされ劇場」っていう劇団とも出会った。そこの代表の方がアイアンシアターっていう北九州・枝光の劇場で芸術監督を当時されていて、秋にフェスティバルがあるぞということだったので応募したら、採用して頂いて。旗揚げ2年目ながらツアーをやらせていただくことになったんです。「スーホの白い馬」を題材にした劇は前から作ってみたくって。この作品はなんども再演する演目になりましたし、思い入れ深い作品になりました。

 

徳泉:さて、三人体制だった劇団しようよに、2013年、期間劇団員という形で仲間が増えます。

 

大原:新たに4人の期間劇団員と一年活動しました。それまで劇団に俳優がいなかったので、じっくり俳優と作品を創るというのがしたくて。普通劇団に入団するのって、一生棒に振るような覚悟がいるじゃないですか(笑)。例えば、バイト入ってすぐにやめちゃう、みたいのとはわけが違う。でも覚悟がまったくいらないわけじゃないけど、もうちょっと関わりやすい形で劇団しようよと関わってもらえたらな、と。徳泉も劇団しようよに入って分かったと思うけど、「今の作品」を作る時に「前の作品」と「これから創る作品」ってどうしても繋がってるじゃないですか。

 

徳泉:連続性というか…。

 

大原:(前後のつながりを踏まえたじっくりとした創作は)客演さんとはできなかったので、期間劇団員を募集しました。

 

徳泉藤村弘二さんとの出会いもここですね。

 

大原:そうですね、応募してきてくれて。

 

徳泉:藤村さんは『アンネの日記だけでは』再演の『スーホの白い馬みたいに。』では演出助手をされていますね。

 

大原:弘二くんは名演出助手ですよ!気がきく人で、やりやすいんです。あ、それから『アンネ』は吉見くん音源を使っていない、いまのところ唯一の公演です。余談ですけど、いま活躍している吉岡里帆さんも『アンネ』に出てくれたんです。当時は京都の小劇場界で活躍してて、出てくれはったんですが、当時から東京に行きたいって言ってて。僕はずっと東京行くなんてやめとけって言うてたんですが……いま大活躍なので恥ずかしいですね(笑)。大原の言うこと聞かなくてよかったね。

 

徳泉:期間劇団員の卒業公演『パフ』を経て、西村さん、藤村さん、山中さん(※現在休団中)が正式に2014年から劇団員になりましたね。

 

大原:みんなに来年以降続けるか聞いて、続けるって言ったのがその人たちでした。別にオーディションとか何かで選別したわけではないです。あ、花織さんは別で劇団員にならへん?て聞きました。

 

徳泉:そして再演『パフ』の東京・京都ツアー。大変好評だったと聞いています。

 

大原:その前の2014年1月にも『スーホ』で東京に行ってるんですが、東京で結構いろんな人に観ていただけて、来年以降も東京の劇場でやりませんかという話を頂いたんです。 『パフ』の初演をやったときに、それまで、路上パフォーマンスやったりとか、『茶摘み』で自分の話をやったりとか、割と自分のことばっかり描く作品が多かったんですけど、なんか社会性というか他者のことを考えながら話を創れるといいなと思って『パフ』を創って。2015年も東京公演をすることが2013年度の時点で決まっていたので、2014年にも東京に繋ぎの一発としてパンチを入れようということで『パフ』の再演ツアーをやりました。そのときにいろんな劇評家さんなんかにも出会うことができて、良い評判も頂いたので、自分たちの自信につながる公演になりました。

 

 

徳泉:その後、アトリエ劇研での三年間や、ロームシアター京都での『こっちを向いて、みどり』など大規模な公演が続きます。この間、西村さん藤村さんも何度か出演されていますが、どちらかというと大勢の客演さんとの創作が中心だったかと思います。特に意識とかされていたんですか?

 

大原:そんなに意識してなかったし、2015年に上演した『あゆみ』にせよ『ドナドナによろしく』にせよ、劇団員プラス誰か、でセッションしているという気持ちが湧いたというのがあって。劇団員をメインに据えるというのは『パフ』以降なかったし……ていうか『パフ』以外あんまりないんです。

 

徳泉:今回の『おろしたての魚群』は新作で、劇団員と密に創作するとのことなんですが。今年2017年の『あゆみ』『TATAMI』京都公演の創作期間中にも、「花織さん弘二くんとの創作をやりたい」という趣旨のことをおっしゃっていたと思うんですが、それは『あゆみ』『TATAMI』の現場で気づいたこととかあったんでしょうか?

 

大原:劇団という形に憧れながら活動してきたんで、劇団でちゃんと創れるものを創らなきゃいけない、という焦りもあったというか。外部のキャリアのある良い俳優さん呼んだら面白くなるのは当然できるんですけど、劇団でやってる以上、自分たちの持ち味を活かしたものができないとなぁ、と思っていました。2018年には『パフ』を全国ツアーしますけど、『パフ』の創作以降、劇団の名刺というか、僕たちこういうことやってますよっていう作品を創れていない。劇団しようよとしてのそういうものがないから、ちゃんとやっていこうと思っています。 それに、ロームシアターでの公演とか『あゆみ』『TATAMI』とか、派手な企画が二、三年続いていたので(次は違うことをしようと)。小さい規模でも面白いものは出来るので。例えば『パフ』の初演がそうでしたね、華々しさではなく、今ここにいる人でちゃんと創ろうっていうのを念頭に置いた公演だった。そういう発想でもう一度ちゃんと創りたいなぁと。

 

徳泉:「花織さん弘二くんの良さを一番知っているのは自分だ」というようなこともおっしゃっていたと思うのですが、具体的にどういう良さがあると思いますか?

 

大原:長くやってると、良いところ以上に悪いところが分かってくるんですよ。どういうところが不器用なんやろとか、どういう音が出せないんやろとか(がより気になってしまう)。『ドナドナ』のツアーにしろ、ロームの『こっちを向いて、みどり』にしろ、出来ないことを克服するような活動をしてきたんですけど。そこはもうちょっといいかなって。ちゃんと、今持ってる本当の味みたいなものに、しっかりとトライしたいというか、そういうことにちゃんと目を向けて、耳を傾ける、そんな取り組みをしたいなと思ってます。花織さんは、出力することよりも空気に溶け込むようなお芝居が素敵に見える人やし。弘二くんも、ビジュアルはカッコいいのに喋り始めたら中身ガチャガチャなアンバランス感を、ちゃんと客席に届くようにしたほうが面白いとか。これまで劇団でやってきたことをもう一度ちゃんとやりたいという感じですね。至極当たり前なことですけど(笑)。でも、いまの劇団しようよは、そこに勝機があるんじゃないかと思っています。

 

徳泉:では。今回初めて劇団しようよを観てくださるお客様には、どういうところを観て欲しいですか?

 

大原:実は僕は、アニメやテレビドラマが割と苦手なんですよね。観やすいし面白いし憧れるのだけども。僕が高校演劇していた時なんて、部員の周りの8割はアニメに影響されて、アニメ作りたい、(声優として)演技がしたい、っていう感じだったんです。で、それができない代わりの手段としての演劇をやってる人ばかりだった、ような印象でした。そこから演劇自体が楽しくなってそれ自体が目的になった人もいましたが。それになんか違和感を持っていたんですね。演劇でできることとアニメとかでできることを分けて考えられるようになればいいんだけど。演劇は身体が見えてて、空間を共有しているお客さんに伝えるっていう。アニメは絵しかないところにどう声を乗せていくかという、ぜんぜん違う手法な訳で。あ、僕はアニメや声優さんのお芝居については専門性はないので、これはもしかしたら偏見なことを言ってるかもしれないけれど……。まあ、率直なことを言うと、アニメを観てるうちは舞台でのお芝居を勘違いしてしまうんじゃないかなと。テレビドラマも同じで。化学調味料の入ったお芝居が多いなって感じるんです。でも、それはそうだと思うんです。アニメーションやテレビの画面というレイヤーを通して、人物を表現するのだから。そういう表現になってしかるべきだと思います。だから、観易くて受け取り易くて分かり易くて感動できる。そういうのを簡単に演劇に持ち込んでしまうのは危ないなと。でも、念を押して言っておくと、声優さんとか映像の中でのお芝居を否定しているわけじゃないですよ。伝える手段・方法によって、お芝居のスタイルやコンセプトが変わるはず、って僕は思ってるという主張です。

 

徳泉:なるほど。

 

大原:それでなんですが、僕も(観客として観る時はそう)なんですけど、お客さんって、あらすじが気になったり、作品のストーリーが気になったり、結末が気になったり、理解できることを楽しみたいじゃないですか、多くの観客は。でもそれって小説でもできるというか、漫画でもアニメでもドラマでもできるというか。演劇は一緒にいるから感じてしまうことを探さなあかんなということを思っています。なので、これまでの劇団しようよにはなかったようなことをもっと探したいと思ってるんです。なんというか……気まずさであったりとか息苦しさであったりとか。 今回の『おろしたての魚群』が、観客にとってストレスのかかるお芝居にするっていう意味ではないんですけど……その場でしか感じることができないものを、これまで劇団しようよは探してきたんですよね。「スーホの白い馬」っていうストーリーからその場で何かを見つけるか、だとか。会場の選び方にしても、廃ビルの一室であったりとか、元・立誠小学校の一室であったりとか、銀行の跡地とか、その場で感じることを大事にしていきたいなと思ってやってきました。なので、そこに現れる登場人物・人間・俳優、とかそこにいる人たちからも、そういった「その場でしか感じることができない」ものを探りたいです。まあ、当たり前のことを言ってるんですけどね…(笑)。 劇団しようよを初めて観に来る人は、今回は学校の話で、六年生を送る会の話で、演劇がうまくいかなかった学校の話なのか、モンスターペアレントが出てくるのか、というストーリーをもちろん楽しみにしてほしいし、それ以上に見えてくる人々からにじみ出てくる違和感とか息苦しさとか切実さみたいなものを楽しみにしてほしいなあと思っています。

 

徳泉:最後に、今回の『おろしたての魚群』の創作を経て、来年の『パフ』全国ツアー、それからこの先の劇団しようよにどんな影響があると思いますか?

 

大原:劇団員とできることとできないことが、ネガティブな意味でなく、はっきりしてくるんじゃないかな。アトリエ劇研での三年間は、自分が演出家として何ができるかを試した三年間だったんですね。その結果、やっぱり新作も書いていきたいし、古典作品(の演出)もしっかりやっていきたいし、自分の中でいい意味で(やりたいことの)線が分かれた。劇団員との関わりも、あえてプロデュース公演をしたい時と、劇団員とじゃなきゃやれないことをやりたいというのが、これからもっと増えてくると思うし、それが『おろしたての魚群』を経てはっきりすると思うんですよ。来年は『パフ』をするって決めているので、堅実な関係になっていけたらいいなと思います。いろいろ枝分かれして、それぞれのラインが確実なものになっていくんじゃないかと思っております。

 

(収録:2017年10月19日 @AKIKAN)