| 作品について | 

 

ままごと柴幸男さんによって紡がれた《女性の一代記》『あゆみ』。

2015年に劇団しようよで挑戦した『あゆみ』を再演します。

劇団しようよ版『あゆみ』では、続いていくはずの少女の成長の物語を、男性キャストのみで上演。

“男性の視点から描き直した、少女の物語” から見えてくる「ここにいる少女とここにいない少女の歩み」。

ゲストとして、京都公演はアトリエ劇研ディレクターあごうさとしさん、東京公演では作者の柴幸男さんが登場します。

 

 

 

 

 

男は、自らの身の回りを”たたみ” はじめる。まずは部屋、そして我が家を。街を。国を。この星を。

最後は、自分自身をたたもうとしていく。男が語る「おわり」の果てに見えるものとは?

劇団しようよ版『TATAMI』では、閉館するアトリエ劇研を背景に、未来のために残された今の物語を描きます。

 

※京都公演でのみ上演。

※本戯曲は、2015年にKUNIO12 『TATAMI』のために書き下ろされたものです。

 

 

4月15日(土)

稽古場にて、『あゆみ』出演者(金田一央起さんは欠席でした)で、

大原不在の時間に、作品について、話してもらいました。

 

 

 

 

◉テンションでやってた初演、再演のブラッシュアップ感

 

高橋:じゃあ、劇団員の吉見さん、司会で。

 

吉見:え〜。皆さん。稽古、どうですか?

 

楳山:今は、4月に入って、『TATAMI』の稽古がメインになっているから。『あゆみ』の稽古は、残り回数が少なくなってきたというか。一週間の中で『あゆみ』に充てる時間が少なくなってきていて・・。

 

高橋:週1とかですもんね。

 

楳山:個人個人で温めてる時期に入ってるのかな・・と感じていますけど。

 

土肥:俺は今、最後の方の台詞を覚えてる。

 

吉見:最後の方って、初演と変わったんやっけ?

 

土肥:変わったその(セリフの)振り分けがちょっとややこしいから。ともすると前のやつ言っちゃう。

 

楳山:ああ、わかるわかる。

 

吉見:シーンも増えた・・よね。

 

楳山:ちょっと増えましたね。

 

高橋:もともと柴さんの台本から(初演時は)削ってた部分が、復活したというか。

 

楳山:基本的には、前回のしようよ版『あゆみ』とほとんど内容は同じ。内容的にはね。演出は変わっているけど。

 

吉見:方向性は一緒だけど。気持ち的には・・、前の時は、何か、変なテンションやったやんか。

 

高橋:確かに。深夜テンションで仕上げたような感じがあった。

 

楳山:吉見さん、初演の『あゆみ』はパンクロックや言うてましたね?

 

吉見:初演の時は、元の柴さんの『あゆみ』があって、しようよでは、その、女性キャストでやったものを男だけでやるという、頭のおかしい方向へ行っています、というのが決め手であった。どう違いを見せるか、アンチテーゼのテンションでやってた感じがあって、そのテンションだけで全てを終えた。それはそれで面白かったし。でも、歳食うて、なんとなく、前回のその勢いだけ、テンションだけ、アンチテーゼ的なところだけでなく、それ以外のところを拾いたくなっている・・。そんな感じがあるんじゃないかと思うんですけど。どうですか皆さん?

 

楳山:純粋なブラッシュアップ感がありますね。稽古していて。

 

高橋:演技のコンセプトもちょっと変わってきているから。初演から出てた人は、その辺はどう思ってるの? わかりやすくしないで、みたいな(演出の指示が)あるじゃないですか。俺個人的には結構大変で。

 

楳山:いやあ、大変ですよ。

 

吉見:確かに(初演は)わかりやすかったね。発色がはっきりしてた 。

 

高橋:柴さんの台本ははっきりしてるから・・。

 

楳山:The小学生・The高校生・The社会人・・みたいな感じでやってたから、キャラクターをカチッとくっつけて、自分の中に芯を持って行けそうな感じだったけど。今回は、役者個人の生理を出せと言われている。自分の体や声を使って、その歳その歳の女性・あみちゃんを作っていく、というのが難しいな。特に僕は年齢が下(の時代のあみちゃんをやっている)だから、そこのバランスはすごい難しいなと思います。

 

:僕は、初演を観てたんですけど。その時に、すげえって思ってた作品に出れて、うわってなってる。

 

土肥:なんですげえって思ったの?

 

:例えば、みんなでバーってセリフ言うところがあるじゃないですか。そういうところで。芝居を観てうわーってなったの、あの時初めてだったので。だから、そんな作品に出れてるだけで満足なんですけど。実際、初演やってらした方々と一緒に出てて、プレッシャーはあるんですけど。皆さん、2回目だけどやっぱり悩んでらして。やっぱり難しいんやなあって・・。

 

高橋:1回目がある分、悩んでるところがあるなあ。初めてやるのは、どうなんだろう?(森くんは)普段やってる芝居と比べて、どう?

 

:大原さんはよく、「もっとリアルな感じで」とか「ちゃんと反応を見て」とか。基本的なことを突き詰めた演出をしてくださるじゃないですか。それが僕はすごく嬉しいですね。コテコテの演技じゃなくて、リアルな世界をちゃんとやってる感じで。僕は楽しいですけど。

 

高橋:演技で言ったら、反応を大事にしてるなって思うな。生っぽい。

 

吉見:前は・・、初演の時は、そこまで重視してなかった気がする。

 

:そうなんですか。

 

高橋:お話の、いわゆる記号的な・・、いわゆる、小学生はこうだよねというような印象を見せられた感じが、初演は強かったかな。

 

吉見:初演は、どんと置いて、退けて、次を置いて・・てしてて。再演にあたっては、置いて、お客さんの反応を待ってから退ける・・。それをちゃんとやろうとしている感じ。

 

楳山:御厨さんはどうですか、(『あゆみ』)初参加ですけど。

 

土肥:でも、しようよ歴は長いですよね?

 

御厨:しようよに出るのは、僕、3回目で。『パフ』の再演をやって、その後、せんがわでやったスイカのやつ(※『こんな気持ちになるなんて』 せんがわ劇場演劇コンクールにて上演)をやって・・。僕、しようよの現場は、全部再演のものに呼ばれているんですよ。

 

高橋:確かに。本当ですね。

 

御厨:しかも、『パフ』は観たことあるけど、『あゆみ』もスイカのやつも、初演を観てないんですよ。で、『パフ』から思ってたことは、(初演の)動画とか(ネットで観れるように)上がっているのだけど、逆に観ないで現場に入る方がいいんだろうなって思っていて。それは、最初心がけた。演出がついてからちゃんと見返したりはしたんですけど。最初入る時にイメージ持ち込んでいくとあまりよくないな、て。初めてクリエイションするという感じで行った方が、向こうも新鮮だしこちらも新鮮で行けるというか。

 

吉見:渉平も、再演する時はいつもそのテンションでいると思う。もちろん、(初演が)下地としてはあるわけだけど、同じことをやろうというより、新しいことをやろうとしている。

 

御厨:そうですか。

 

 

◉しようよ版『あゆみ』のコンセプトにどれくらい乗れているのか

 

吉見:門脇さんはどうですか?観てると、俺、あんまり門脇さんは変わってないように思う。

 

門脇:うん、僕の芝居は、そんなに変わってない・・。まだ、でも・・、(この作品は)お父さんが(あみちゃんの成長を)見ているということじゃないですか。それでいくとまだ僕はその場にいれてない感じがあるので、もうちょっと色々決まってきて、立ち位置なども確定していったら流れを作れるのかなという気がするんですね。最終的なことは、最後、劇場に入ってからわかるんじゃないですかね。

 

土肥:おお・・。

 

門脇:新しく増えたシーンでも、(お父さんがあみちゃんを)どこでどう観てたらいいのかまだあんまりわからなくて。ずっと想像しとけばいいのかとか、ちゃんと観ていたらいいのか、とかわからなくてですね。まだその辺、手探りで。

 

高橋:今はまだ、お父さんという存在に具体的な演出が決まってないですからね。・・これ、座談会で話すことじゃないかもしれないけど。あみちゃんという一人の女の子を、父親の視点で見ているという、しようよ版『あゆみ』のコンセプトに、みんな、今回どれくらい乗れているのかなっていうのは気になります。その辺の話をあまりしてないから。

 

門脇:今は、中身の方を作っている感じがあるね。

 

楳山:初演に比べるとその辺省いてきてますよね。

 

吉見:初演の時の方が、はっきり門脇さんにそれ(コンセプト)が乗っかっている感じがあったんですけど。

 

門脇:まだそこまで作ってきてないだけだと思うけどね。

 

吉見:再演にあたって、門脇さんがお父さんです、という記号化を、良くも悪くもちょっとぼやかしている、というのもあるのかなと思うんですけどね。門脇さんはその、「お父さんの視点」を担うシンボルとしてありますけど。俺たちも、最終的にはお父さんに見えるように、というのがあるじゃないですか、男性キャストでやるってことは。今回は、門脇さんというシンボルももちろんあるけど、それ以外の俺らにも、そのエネルギーが移っているのかなって感じがする。それでちょっとぼやけてる感じがあるんかもしれないし。そこを認識し直さないといけないのかもしれないって思いますけど、どう思います?

 

楳山:演じることであみちゃんのやってきたことをそれぞれのキャストが追体験していく ってのが、今回の男性版『あゆみ』やと思うし。初演の時もそういうコンセプトはあったと思うけど・・。

 

吉見:初演は若干それが見えにくかった気がするなあ。

 

高橋:コンセプト的な話は、あんまり今回の稽古場でしてないから、新キャストの2人はどういう風に思ってるのかな、ていうのは気になりますね。

 

門脇:まあでもね、立ち位置とか決まったら出てくると思うよ。

 

土肥:(立ち位置)早く決めたいですよね。

 

門脇:でも(まだ)決まらなくていい。劇場入りしてから決まってもいい。ギリギリまでそうじゃない方を、見る方より見られる方をどんどん詰めて、その上でどこから見るかとか、その視点を演出が持っていないわけはないので、最後こうしましょうって行ったらいいと思っているのですよ。

 

吉見:初演の時より今回は、ちゃんとあみちゃんの中身を詰めていこうというのがきっとあるんでしょうね。

 

:そういう(コンセプトの)話って、初演の時はいっぱいしたんですか?

 

高橋:いっぱいした。

 

楳山:それこそ、(柴さんの『あゆみ』の)長編の台本も短編の台本もめちゃくちゃ読んで、これは必要かなとかいらないかなとか。

 

高橋:結果的にお芝居の形を整えるのは本当に小屋入りした後になるくらい、こっちに時間を割いてた。

 

御厨:だから、パワープレイっていうか。ある種、それも、男性キャストでやってる醍醐味だと思うんだよね。小屋入り後のテンションでブワーッとやれる、そのエネルギーみたいなのが初演はあったんだろうなっていうのは、動画で観ていて感じていた。

 

吉見:そうですね。

 

御厨:それは吉見くんも言ってたし、わかるし。でも、このぼやけ方も悪い感じじゃないなとは思っている。

 

 

 

◉『TATAMI』との二本立て上演をすることで

 

制作:(言葉を挟む)一つ、質問を加えてもいい? 今回、『TATAMI』と二本立て上演をする、ということで感じていることありますか?

 

楳山:今のところ、『TATAMI』の稽古場に行ってる『あゆみ』メンバーって誰ですか?

 

高橋:門脇さんと、俺・・。

 

土肥:俺も行ったよ。

 

吉見:俺も。

 

楳山:僕は昨日行った。

 

門脇:(土肥さんは)ちょくちょく来る。

 

土肥:隣り(京都芸術センターの隣りの部屋)で笑の内閣の稽古をしてるからさ。

 

楳山:チラシにも書かれているけど、(『あゆみ』と『TATAMI』は)始まりの物語と終わりの物語っていう。対照的というか対比的というか、そういうものとして表してる部分があるのかな、と思うけど。

 

吉見:でも俺は、両方の台本を読んで思ったけど、そんなに対照的な作品ではないような気がする。

 

高橋:別に柴さん自身が対として書いてないから。それを対で捉えて、大原さんがどの辺を面白く思ったのか。大原さんがどこでこの作品を対にしようと思ったのかな、というのがポイントだと思う。

 

土肥:僕はまだ内容は知らないんだよね。どんな話?

 

高橋:SF。

 

土肥:やっぱりSFなんだ。柴さん(の作品)ってSFだね。『あゆみ』ではそこバッサリ削ってるけどね。『TATAMI』ではSFのままですか。

 

門脇:割とそのまま。若干削ったり入れ替えたりはするけど。

 

高橋:大原さんがSFということに対してどういう姿勢を取ろうかと悩んでいる。

 

土肥:(チラシを見ると)赤と黒じゃん。その色味の違いが頭の中でイメージされてるかな。

 

御厨:イコールのところを見つけるとしたら、しようよ版『あゆみ』は、お父さんが軸になってるところがあって。『TATAMI』もそうなんですよね結局。親父というものの生き方みたいなのを、『あゆみ』と『TATAMI』で見るのがいいのかなと思いますけど。柴さんの『あゆみ』は、そこまでお父さん軸になってないから。

 

楳山:昨日稽古を観ていて思ったのは、(『TATAMI』は)柴さんの死生観がかなり如実に表れているというか。すごい、印象的なセリフがちょいちょいある。

 

門脇:あるね・・。

 

御厨:『TATAMI』は、僕はオリジナル版を観てたのだけど。その時の印象で言えば、「終わりの始まり」みたいな話だった。

 

吉見:『TATAMI』が「終わりの始まり」だったら、しようよの『あゆみ』は、「始まりの終わり」みたいな感じ。始まることが終わっていくのが『あゆみ』な気がする。

 

楳山:基本、(柴さんの)『あゆみ』の「長編」をベースにしてるじゃないですか。でも、最初の、「えーと私は、一生に、だいたい1億8千万歩ぐらい、歩きます」というセリフが、原作では、最初のシーンと最後のシーンに表れているけど、でもちょっと内容が違うじゃないですか。初めの方は「最初の一歩の踏み出し」だし、後半のシーンのところは、いわば「死に向かっての最後の一歩」。

 

門脇:一生を描いているんですよね。柴さんのは。

 

楳山:でも、今回の『あゆみ』は、両方とも、「初めの一歩」で始まり、「初めの一歩」で終わる、ていう。

 

高橋:あの後、誰かが子どもを産むというシーンが入るしな。だからあの「初めの一歩」は、別の誰かの一歩かもしれない。

 

吉見:うーん、そうですね。なんかね、『TATAMI』はそうやって後に続いていくことをちゃんと描いているけど、『あゆみ』は、

ここで終わってしまったんだなという視点までしかない。しようよ版『あゆみ』は、その後、それを抱えてどう生きていくかまでは書いていない気がする。

 

高橋:確かに。

 

<大原が部屋に戻って来る>

 

高橋:『TATAMI』の中身のことは、あんまり話さない方がいいのかもしれないけど。最後、お父さんが歩けなくなって終わるんだけど、それを観ていて、『あゆみ』は立つところから始まったなあ・・て思った。生まれることと死ぬことはとてもくっついてる感じがする。だから、『TATAMI』を観て、その後に『あゆみ』を観るか先に『あゆみ』観るかわかんないけど、『TATAMI』を観た上で『あゆみ』を観たり思い出したりして、色々な解釈が増えるなあという感じがしている。

 

吉見:ああ、そうね。これ(この対談)、両方観た方が面白いよってことをもっと語っていないといけないんやったな。

 

土肥:(『TATAMI』では)門脇さんの大きい声が聞こえる、はず。

 

門脇:ああ、大きい声を出すところがある。

 

土肥:そういう面でも面白いと思う。

 

門脇:『あゆみ』の方は(僕は)見る役だったんだけど。見る役の僕をお客さんが見るんだけど。『TATAMI』の方は、見られる側な感じがする。

 

吉見:『あゆみ』と『TATAMI』の親父像の違いが出るかもしれないね。『あゆみ』では、傍観者としての親父だけど、『TATAMI』では、親父自身の話なんですよ。親父自身が見られる。

 

高橋:成長して絶対主だった親を、ちょっと引いて、一人の人間として見られる、ような印象の違いがあるかも。・・と今の話を聞いていて思った。

 

楳山:両作品を通して、共通してこういう風に観て欲しいなって、僕が個人的に思ったのは、「見届ける」という感じで観て欲しい。『あゆみ』はわかりやすいじゃないですか、僕たちキャストも周りから「見ている」し。『TATAMI』も、お父さんが収束していくその様を「見届ける」。そういう意味では、共通してる部分があるのではないかな、と思いますね。

 

吉見:「見届ける」、か・・。確かに。

 

楳山:しようよ版『あゆみ』は、もう、単なるあみちゃんの成長譚ではなくなってますからね。

 

吉見:うん。・・さあ、どうまとめたらいいんかな。両方観たら何が見えて面白いんかな。どう思います?(といきなり大原に振る。)

 

大原:『TATAMI』を観てから『あゆみ』を観た方が面白いんじゃないか説を最近思ってきた。

 

御厨:僕は、『TATAMI』を観てからの方がいいように思う。特に初演の『あゆみ』を観てくれたお客さんは、『あゆみ』をもう一度観るんだったら、『TATAMI』を観てから観た方が絶対いい。

 

高橋:『あゆみ』『TATAMI』『あゆみ』のサンドイッチじゃないですか。僕、一推しの観方は、それ。

 

大原:それ最高やね。

 

吉見:俺らにとって、最高。(笑)

 

門脇:それもそうだ。

 

吉見:じゃあ。そういうわけで。

 

楳山:オチもついた。

 

土肥:3回観てーってことやね。

 

 

一同:ありがとうございました。